晴耕雨読日記

《名・ス自》晴れた日は畑に出て耕作し、雨の日は家にいて読書すること。田園に閑居する文人の生活などに言う。ニート。

何回目かの最初の話

 考えていることを具体的にしないと次のステップ、つまり行動に移せないのかもしれない。ずっと考えていたのは働きたくないということ。それはただ無為に生きていくと勘違いされそうだけれど、違う。でもそれを具体的には語れない。だから悶々とと20年近く過ごしてるのだろう。考えを具体化してこなかったから次のステップに進めなかったのだろうし、今もずっと足踏みをしている。

 わかった上で実行に移さなかった自分は愚かだと思う。この先も何もしないでただただ平凡に生きていくこともできる。だけれどそれはしたくない。もう終わりにしよう。

 平凡で思い出すことがある。学生時代、書道の時間に好きな漢字を一字書くという課題があった。自分は「凡」と書いた。平凡を目指すという意味で書いたのだろう。多分そうだ。でも、今は、平凡ですら、ままならない。平凡になりたいのであれば、努力して努力してやっと平凡になれるのであろう。うまく言えないが上へ上へを目指した結果の先に平凡はある。努力が必要なのだろう。それも本当かどうかわからない。

 考えを書き連ねていくことで行動も変わるのだろうか。やってみないとわからない。マザーテレサだったか(しらべたらそうだった)の言葉で、“思考には気をつけなさい。それは言葉になるから”、で始まる格言(というのか?)は思考は最終的には運命につながっていた。そんな有名な考えかたがあるくらいだから書くことで変わっていく可能性は十分にあるだろう。

 今までも、このブログでちょいちょい書いていたが三日坊主だった。今度はどうだろう。思ったことを書き連ねていくブログにして、小賢しいことはやめよう。晴耕雨読な生活をしたい。本当にできるのか。今日からまた始めてみようと思う。

 取り留めのないブログになるかもしれない。けれど自分の運命が変わっていくことを願って続けてみたい。